幕間:仲間×鴉総長


<第八話から第九話への幕間>




車内に積まれた数々の機材。周囲の闇に溶け込む様な黒いワンボックスカー。その車の後部座席に座り、目の前にセッティングされているモニターを冷ややかな眼差しで見つめる。画面に映し出されている光景を注視していれば、同じく運転席に座り、タブレット端末を操作していた男、小田桐が低い声でぽつりと告げた。

「来たぜ。今夜のターゲット」

その声に後部座席に座ってモニターを見ていた男、大和が動く。モニターの横に置いていたピンマイクを手に取る。大和の左耳にも、運転席に座る小田桐の片耳にも無線で飛ばすタイプのインカムが付けられていた。

大和もモニターでそこに映る人物を確認すると、マイクのスイッチをオンにして口を開く。ひやりと背筋に震えが走りそうな程冷えた声音が指示を出す。

「ターゲット確認。先に言った通り、ルールは一つだ」

急所は外せ。それ以外で徹底的に痛めつけろ。

「五分後に通報がいく。それまでに済ませて退け」

今回のターゲットは絶対に生かしておく必要がある。
それが鴉総長からの命令だ。

短く指示を出し終えた大和はマイクを切るとモニターの横に戻す。これから始まる鴉の制裁現場に目を向けた。モニターの向こう側では一人の男がマスクや帽子を被って武装した若者達に囲まれている。

「OK。相沢、組の方に動きはないぜ」

「分かった」

ちらりと一瞬、小田桐へ視線を向けた大和は淡々と頷き返す。

相手はちゃんと約束を守ったらしい。

モニターに戻された双眸がすぅっと鋭く細められる。
冷え冷えとした双眸の奥に微かに揺らめく熱がある。しんと静まり返った車内に、どこか遠く肉を打つ鈍い音と悲鳴、ざわめく喧騒だけが響く。運転席に座り、タブレットにも送られてくるその光景を目にしていた小田桐の双眸もまた鋭く研ぎ澄まされていく。熱した鉄が溶け落ちるかのように苛烈な光を宿した双眸がタブレット越しにその光景を見つめていた。






あいつは覚えていないかもしれないが、あいつは人を殺したことはないが、殺しかけたことは何度かある。それは拓磨自身の事でもあり、それ以外の混乱期に生じた鴉内部の話でもある。
大和や小田桐、花菱といった拓磨と同期とでもいえる、拓磨に近しい鴉の幹部ならば知っている。

志郎さん亡き後、拓磨は当時まだ鴉幹部に席を置いていたトワさんの手により保護下という名の監視下に置かれていた。心が不安定な拓磨が落ち着くまではと。
今にして思えば、拓磨が落ち着きを取り戻したのは真実の断片を知ってしまい、目的が出来たからなのだろう。
それまで俺達は毎日ローテーションを組んで、一日一回は拓磨の様子を確認するようにしていたのだ。それこそ多い時は一日何回も。当初、何も口にせず、夜の街を彷徨い歩く拓磨に小田桐は時折キレながらも拓磨の為に飯を買いに行ったり、それでもダメな時は花菱が食べやすいものを作って玄関先に吊るしたりしていた。他にもゼリーや果物、栄養食品といった物を日替わりで玄関のドアにぶら提げていた。
しかし、それも全てトワさんの手にかかれば、無理やり口に入れられていたりもしたが。そうやって拓磨の姿を確認していた日々もある日を境に終わりを告げた。拓磨が少しずつではあるが、自分で自己管理をするようになって、トワさんが勝手に拓磨の引っ越しを決めた。

急な決定に拓磨の反発があったのも当然だが、俺達も拓磨の心情を思って反対した。それでもトワさんは譲らず、強引に話を進めて、拓磨を志郎さんと住んでいた家から追い出した。何故、トワさんがあんなにも強引な手段を取ったのか、今なら理解できる。

拓磨を護る為だ。

拓磨を潰したかったマキは当然、拓磨が何処に住んでいるかも知っていた。

『いつまでも志郎に囚われるな。アイツはそんなことお前に望んじゃいねぇ』

そう言って、トワさんは拓磨を何処か知らない場所に引っ越させた。同時に拓磨の事を俺達に託してトワさんも姿を消した。拓磨の新しい家はアパートで、名義は最初一ノ瀬 永久となっていたが、後に大学へと通うことになった拓磨が自分の名前へと変更していた。




そうして嫌な静けさを取り戻した夜。
大和が鴉を立て直している最中にそれは起こった。
鴉の柱ともいえる、鴉本隊を動員して離反を始めていたチームへと最終通告を行い、鴉に残る者と敵対する者。その選別を情報部隊長である小田桐と共にしていた時、花菱から大和に緊急連絡が入った。

「何があった?」

この頃、花菱は拓磨の護衛として大和が密かに拓磨に付けていた。

拓磨を護るようにと、大和から直々に言い含められていた花菱は拓磨から離れた位置で、目の先で繰り広げられている光景から目を離さずに、しかし焦った声で手元のマイクへ告げた。

『総長がやばいです。このままだと相手を殺しかねない』

「すぐ行く。お前はそこで待機だ」

理由はその時その時で違ったが、やはり一番は志郎さん絡みの話であった。

「後藤総長もたいしたことなかったよなぁ」

「もしかして、俺らでもやれたんじゃね?」

「まーなー。上の連中が何考えてんのか知らねぇけど、俺達には今がチャンスだろ」

そう考える者も少なくはなかった。特に今まで鴉という組織の中でも下位に置かれていたチーム。志郎さんの件でもほとんど内容を聞かされていないチーム、鴉に所属はしていながらもそのほとんどが放置に近い状態に置かれていたチームほど危ない思考を持つ奴らは多かった。

夜の街を彷徨い歩く拓磨の耳にそんな雑音が入ればどうなるか。
志郎さんを侮辱する様な発言はもちろん、この機会をチャンスだと声高に言う連中ほど、拓磨の目には目障りに映ったことだろう。逆を言えば、志郎さんの死を喜んでいるとも捉えられるのだから。また、拓磨はもちろんだが、志郎さんを慕っていたチームからしても、そんな連中は許しがたかった。それ故にチーム同士の喧嘩も後を絶たず、毎晩夜の街は騒がしかった。




バイクでその場に駆け付けた大和が見たものは、地べたに転がる複数の男と、拓磨に胸倉を掴まれて今まさに意識を落としそうになっている派手な髪色をした男。
きっとその男が周囲に転がる男達の頭なのだろう。
拓磨がやったのか、男の顔は見るも無残に腫れ上がり、呼吸音もか細く聞こえるのみ。
物陰から飛び出しそうになっている花菱を視界の端で捉え、バイクが止まっても微動だにしない拓磨の背中へ、バイクから降りた大和が静かに声をかけた。

「拓磨」

「………」

「そいつが何かやらかしたか?」

大和の声にも反応せず、拓磨は感情を何処かに落として来たかのようにぞっとするほど冷たい眼差しで呼吸を求める男だけを見ていた。

「――相沢」

大和と共に付いて来ていた小田桐が己の拳をぎちりと握って、そんな拓磨を睨む。言葉よりも実力行使で止めようとする小田桐の呼びかけに大和は首を横に振る。そして、拓磨の元に歩みを進めた大和は拓磨ではなくて、拓磨に胸倉を掴まれている瀕死の男へ目を向けた。そして、やや乱暴に男の派手な頭を掴んだ。

「こいつは鴉から除名する」

ぐっと力を入れて男の頭を引けば、するりと何の抵抗もなく拓磨の手から男の身体が離れる。
何の感情も浮かんでいない目に、それでも大和は視線を合わせて言う。

「お前のチームに不要な者は俺達が片付ける」

小田桐と、名前を呼ばれてようやくその拳を解いた小田桐も拓磨の元へとやって来る。

「ったく、馬鹿が。ひやひやさせんじゃねぇ」

文句を零しながらもポケットから取り出した端末で情報を引き出した小田桐は大和に頭を掴まれている男に視線を走らせ、言う。

「こいつらは下位のチームでもそこそこ名は知られてる連中だな」

「そうか。なら、ちょうど良い」

それだけ聞くと大和は一つ頷き、掴まえていた男の頭を投げ捨てるように拓磨から離れた位置へと転がす。それと一緒に拓磨の手により、先に地面に倒れ伏していた面々を視界に入れ、温度のない声で指示を出す。

「下位の連中が集まる集会場に転がしておけ」

鴉総長からの警告だ。
代替わりを狙う者はこうなる。
今代総長の意に沿わない連中はうちには必要ない。

「今代総長を甘く見るなよ」

志郎さんの代が消えた今、今の拓磨を止められる者がいるだろうか。無論、小田桐の様に実力行使でいけば、止められる可能性はある。だが、その選択は極力とりたくはなかった。何故なら、拓磨を止める為とはいえ、拓磨に向かってその力を振りかざせば、それこそ全てが壊れてしまう様な予感がしていた。それでも、万が一の時は…。

「おい、相沢。てめぇまで余計な問題起こすんじゃねぇぞ」

射抜くような鋭い眼差しが咎めるように大和に突き刺さる。
そして、その苛烈な光を秘めた眼差しは沈黙を保ったまま立ち尽くす拓磨にも向けられた。

「後藤。てめぇもだ。好き勝手暴れんのも勝手だがな、その前に連絡ぐらい入れやがれ。誰が後始末すると思ってんだ」

熱の籠った声にようやく拓磨の視線が動く。その目が大和を捉え、小田桐に向いて、僅かに眉が顰められた。

「…お前じゃないことは確かだろ」

「あぁ?」

何故そこで喧嘩腰になるのか。小田桐の肩を掴んで止め、大和は拓磨の様子を窺う。

「拓磨。街をぶらつくなら付き合うぞ」

大和の言葉に少し考えた様子をみせた拓磨であったが、やがて緩く首を横に振る。

「いい。一人にしてくれ」

全てを拒絶するように平坦な声が静けさを取り戻した夜の中に落ちる。

「そうか。…何かあったら連絡をくれ」

「あぁ」

頷き返されたが、連絡が来ることはないだろう。そうと分かっていながら大和は小田桐と同じ言葉を拓磨に繰り返す。一人で去って行く拓磨の背中を見送り、物陰で気配を消して待機していた花菱へ視線を投げる。花菱は心得たという様に頷き返して、拓磨から距離を開けてその背中を護るように拓磨について行った。

「はぁ…。これでまた一つ、後藤の噂が立つな」

小田桐も拓磨が去って行った方角に目を向けながら、真剣な表情を浮かべて呟く。

「それでいい」

拓磨を恐れる者が増えるのは悪いことじゃない。組織として必要な事で、今の拓磨には余計な輩を近づけたくない。本音を零した大和に小田桐も言葉を続ける。

「だが、正直きついぜ。今の状況は」

何とか外形は調ってきたが、不穏な行動を取る連中が多すぎる。

珍しい弱音ともとれる発言に大和は横目で小田桐を見て、ひやりと冷たく研ぎ澄まされたナイフで紙を裂くように鋭い声音で言い切った。

「それでも俺達が諦めるわけにはいかない」

大和にも小田桐にも諦められない理由がある。先代達の思い。託されたもの。今も共に踏ん張っている仲間達。そして、ここは友の帰る場所。

様々な思いが複雑に絡んで一言では言い表せない。

「はっ…、らしくねぇ。らしくねぇな!」

「小田桐」

「全部、アイツのせいだぜ。つまんねぇ顔見せやがって」

そんで、今のは忘れろと、肩口まで持ち上げた右手をひらりと振って小田桐はしめっぽくなった空気を吹き飛ばす。

「相沢。今度、後藤に会ったら止めんじゃねぇぞ」

「やめろ。身内で醜聞を広めるつもりか」

「言葉で聞かねぇなら、身体に覚えさせるしかねぇだろ」

小田桐の声は歯痒そうに揺れ、それを誤魔化すように吐き捨てられる。
それでも、今の拓磨に効果はないだろうと大和は硬質な声で小田桐を止める。

「あいつには聞こえてないんじゃない。届いてないんだ」

俺達の声が。言葉が。心にまで響かない。その手前にある拒絶という名の分厚い壁に阻まれている。小田桐の言う、身体を張ってまで訴えた所で、そんな拓磨の状態では意味がないだろう。最悪、拓磨を敵に回してしまう。それ故に、それは本当に最後の手段だ。

「間違ってもやるな。一番辛いのは拓磨だ」

「くそっ、分かってるよ」

何があっても俺達は後藤の味方でいなきゃならねぇ。お前が様子見を続けるというなら、それに従ってやるさ。鴉の総長、副総長、部隊長。そんな肩書の前に俺達は…。

「ダチは裏切らねぇよ」

わざわざ言わせるなと、小田桐は悪態を吐き、大和に背を向ける。

「さっさと今夜の始末をつけるぞ。俺も暇じゃねぇんだ」

「あぁ。そうだな」

拓磨が潰したチームを片付け、鴉本隊に預けてきた現場へ戻る。
そうやって一歩ずつ、鴉は再生していく。





『俺ら鴉に喧嘩売って、ただで済むと思ってんじゃねぇぞ!』

その声に意識が引き戻される。モニターに映る凄惨な制裁現場。

「ーー時間だ。撤収しろ」

マイクを通じて発された冷ややかな一声に、さぁっと波が引いて行く様に男を囲っていた集団が一斉にその場から姿を消す。その場には頭を抱え、地面にうずくまる、一人の男だけが残された。それから数分と立たずにサイレンの音が薄暗い通りに響く。

「俺達も撤収するぜ」

運転席に座っていた小田桐がタブレット端末から手を離し、車のハンドルを握る。ミラー越しに視線だけで答えた大和は暗転したモニターから目を離すと後部座席に深く身を凭れさせた。小さく息を吐く。

「…珠樹。その映像は情報棟の奥に突っ込んでおけ」

小田桐は車を運転しながら、右耳に付けっぱなしの小型インカムで自分の部下と連絡を取り合う。
情報棟というのは、鴉の拠点とは別にある情報部隊専用の拠点の事である。

「あぁ、いいな。目覚めたら地獄か」

くくっと小田桐が喉の奥で低く笑う。
これまで抑えられていた感情を零すように小田桐は熱が籠った鋭い眼差しで目の前に広がる暗闇を切り裂くように告げた。

「連中が情報を遮断する前に噂をばら撒け」

うちの総長直々のご命令だ。
文句は言わせねぇ。すぐに動け。

事態は大和の手から小田桐の手へと渡った。自分の役割を終えた大和は静かに瞼を下ろす。

長いようで短かった。これまでの事件がようやく終わりを告げる。
鴉として失ったものも大きいが、得たものも大きい。
なにより大和個人としては、長い間暗い夜の中に沈んでいた友人をようやく明るい昼の中へと帰すことが出来た。たとえそれが、降り注ぐ陽射しが作った日影の中だとしても、昼の中にいることに違いはない。

ふと微かに笑みを刻んだ唇が動く。

「小田桐」

「あぁ?なんだ?」

「次にお前が拓磨に会う時、殴るのも許してやる」

瞼を押し上げた大和の眼差しは仄かな温かさを宿し、冷たい氷が溶けるように緩む。

「へぇ、いい話だな。副総長様のお許しが出たんじゃ、乗らねぇわけにはいかねぇよな」

ミラー越しに目を合わせた小田桐はにやりと口角を吊り上げて笑う。

「その時は主要な幹部だけを集めろ」

「今度こそ身体に覚えさせてやるぜ」

次に拓磨が大和から連絡をもらい、鴉に顔を出した時には手荒い歓迎が拓磨を待ち受けているだろう。拓磨には甘んじてそれを受けてもらうしかない。

これは裏切りではなく祝福だ。
今のお前なら許してくれるだろう。

そして、それはまだ、しばらく先の話。




End.



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